『領土という病 国境ナショナリズムへの処方箋』
岩下明裕編著 北海道大学出版会 2400年+税
評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)
面積から言えば日本の領土問題の99.9%を占める北方領土の周辺の海は豊かな漁場だが、ソ連崩壊後そこで密漁されたカニやウニが日本に大量に輸入され、いまや日本人があらかたの資源を食べつくしてしまった。北方領土問題はまだ解決の糸口が見えないが、そのことは日本人がその水産資源を利用する妨げとはならなかった。
WTO体制のもとでは、単に自国の利益を図るために輸出を制限することは認められていない。このことはある加盟国が他の加盟国の資源を利用することに制約がないことを意味する。だからグローバリゼーションのもとでは領土を増やすことの経済的意味は小さく、それよりも領土をめぐって隣国とケンカを続けることのコストの方がよほど大きい。
竹島は韓国が実効支配しているが、仮に日本が韓国の主張を認めて経済水域を線引きすると、かえって韓国漁船が盛んに違法な漁をしている日本側の漁場を日本は取り戻せるという。
領土をめぐって他国と争うのは経済的国益がかかっているからだと主張されることが多いが、日本が領土紛争を抱える地域の現状に関する本書の報告を読むと、そうした主張の根拠が薄弱なことがよくわかる。
それでも自国領が隣国に脅かされそうだとなると、仮にそれがつまらない無人島であってもまるで自分の指をもぎ取られるかのような恐怖を感じて猛然と反発する。自国領だとする歴史的根拠などしょせん曖昧なのに、「我が国固有の領土」という枕詞が独り歩きし、それに疑問をさしはさむ者には「売国奴」のレッテルが張られる。これが本書のいう「領土という病」だが、この病は日本でも次第に重くなっている。
この病に対する鎮静剤として編まれた本書は、ボーダーの現状を伝えることでその役を果たそうとしている。本書でこの病に侵されていない10名の研究者・新聞記者が勇気ある議論を展開しているのは心強い限りだが、今後は隣国にも同志を見つけることを期待したい。
鄧小平は尖閣問題について後の世代のほうがもっと賢いだろうから後世に解決を委ねようと言った。残念ながら領土問題を解決する知恵を持った賢い時代はまだ到来しておらず、むしろ以前より愚かな時代になってしまった。ただ、本書には将来の領土問題の解決につながるヒントが読み取れる。領土には排他的な主権が及ぶべきものだという思い込みから我々が自由になることで、係争地を双方の地方自治体の共同管理に委ねるなど新たなアイディアが浮かんでくる。
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