Monday, July 13, 2015

日本学術会議学術フォーラム

7月11日、日本学術会議学術フォーラム「アジアのメガシティ東京:その現状と日本の役割」でコメンテーターとして登壇した。報告はそれぞれ各報告者の専門領域にかかわるもので、私にはそれに対して専門的立場からコメントする力はないので、もっぱら東京との比較から北京の交通渋滞・大気汚染問題についての考えを述べた。

Japan's negative growth rate in 2014

Japan's GDP growth rate in the fiscal year 2014 (April 2014 to March 2015) was -0.9 percent. Although it is not a classified information, only a few people in Japan are aware that the country had a negative growth rate in FY 2014. It is largely because Japanese media almost ignored this information.
Today, I asked the students in a class of the Graduate School of Economics, University of Tokyo about Japan's GDP growth rate in FY 2014. I gave 5 choices for them, namely, -0.9, 0.9, 1.9, 2.9, and 3.9. Only one student selected the correct answer, -0.9%. The mean of their selection was 1.37 percent. Well, that is the average image of Japan's recent growth rate held by the students who are supposed to be the most knowledgeable about Japanese economy!
I am not accusing the students for being ignorant of the figure. I think they are fairly intelligent and hard-working people. The problem is that Japanese media almost said nothing about the negative growth rate, which could have created a shock among Japanese people who were taught by our Prime Minister that "Japan is on the way of economic recovery."
Japan has been ranked 61st in the "World Press Freedom Index" made by the Reporters without Borders. My personal feeling is that freedom of press has markedly deteriorated since Shinzo Abe came into power for the second round. Abe sent his friends to the Executive Board of NHK to control this public broadcasting station. Last year Abe and his allies bitterly criticized Asahi Shimbun for "fabricating" a historical fact on the abduction of sex slaves from Korean peninsula during World War 2, which led to the resignation of its CEO. Recently, some lawmakers of the Liberal Democratic Party and Naoki Hyakuta, Abe's friend, have publicly criticized two local newspapers in Okinawa for their disobedience to LDP's proposal on new security laws, saying that these newspapers should be "crushed." Under these pressures, it is understandable that Japanese media want to appease Abe by not widely covering a fact that may indicate the failure of Abe's economic policy.

Friday, July 10, 2015

中国株暴落の構造

  中国の株価(上海総合指数)が6月12日のピークから急落し、7月8日はピークより32%も下落した。中国の新聞によればわずか半月で時価総額にして17兆元(300兆円)が蒸発したという。中国当局(証券監督管理委員会)は慌てており、国有企業や幹部の株売却禁止だとか、「悪意ある空売り」は警察が取り締まるといった、なりふり構わぬPKO(株価維持操作)を行っている。その甲斐あって、7月9日、10日は急上昇しているが、再び急落する恐れもある。
  今回の暴落の背景には、2014年秋以降の株バブルがあったことは明白である。2014年10月には2400ポイント以下だった株価は年末に向けて急騰し、2015年1月には少し落ち着く気配も見せたが、その後さらに上昇して6月12日には5166にもなった。
  バブルが形成された背景として、201411月、153月、5月と3度にわたって中央銀行が基準金利を引き下げ、また2月と4月に準備率を引き下げたことが挙げられる。日本の1980年代後半の時のバブルがそうであったように一般の事業の利益率が下がってきた時に焦って金融緩和を行うと、資金は一般の事業よりも投機に注がれがちであり、投機が投機を呼ぶような状況になる。
   株式市場でのバブルに対して証券監督管理委員会は早くから警戒し、15116日には信用取引(証券会社から資金ないし株を借りて行う株取引)に対する検査を行った。それによって信用取引における現金に対する融資の比率が1:2から1:1.4~1.7に下がった。
 ところが、「場外信用取引」と呼ばれるものが急拡大し、株価は再び上昇を続けた。金融緩和で資金に余裕が出る一方、一般事業ではなかなか有利な融資先を見つけることのできない銀行が株の信用取引の方に資金を流し始めたらしい。銀行はまず信託会社に融資し、信託会社はそれを小分けして信用取引会社に融資、信用取引会社は最終的に数万元、十数万元という単位に小分けして零細な投資家の信用取引に貸した。このように資金を小分けする上で「恒生HOMS系統」というクラウドのシステムが活用された。この「場外信用取引」では現金に対する融資の割合が1:10以上にもなったという。
 証券監督管理委員会は5月頃には株価の異常な上昇の背景に「場外信用取引」があることに気づき、恒生HOMS系統の口座にメスを入れ始め、口座数を37万から19万に整理した。これが株価が6月12日以降急落した原因である。
 このような経緯による株価下落だったので、証券監督管理委員会は当初株価下落は当然のことだと考えていたようだ。ピークから株価が14%落ちた6月26日の段階でも株価の下落は高すぎた株価が市場メカニズムによって調整された結果だと委員会関係者が発言した。
 6月28日には中国人民銀行が政策金利引き下げと準備率の引き下げを発表したがそれでも株価が下落し続けた。さすがに6月29日になって証券監督管理委員会は株価急落に危機感を持ちはじめ、急落への懸念を表明した。ところが翌日にもさらに株価下落が続いたため証券監督管理委員会は場外信用取引への規制を緩めた。71日にはA株取引の料金基準の引き下げ、証券会社の社債発行拡大などを発表した。7月4日以降は証券会社21社に対して上場投資信託(ETF1200億元を購入するよう求めるなどなりふり構わぬ株価維持策をとっている。
 今後株価はどうなるだろうか。2007年後半から2008年にかけてのバブルの形成と崩壊をみると、バブル前の水準まで株価が落ちている。今回のバブルが起きる前は2000-2500ポイントぐらいでしばらく安定していたので最悪の場合、そこまで下がるとみる。
 ただ、中期的には明るい要素もある。それは6月末に年金基金を株で運用できるという政策が発表されたことである。これによって6000億元の資金が株式市場に流入する可能性があるので、これは株価を下支えする材料になろう。またNASDAQやニューヨークに上場していた中国関連株が中国のA株市場に帰還する動きが始まっており、インターネットやサービス関連の優良な企業が入ってくる。
 他方で、場外信用取引に資金を提供した銀行の債権の焦げ付き、信用取引で財産を失った市民の不満などバブル崩壊の傷は今後しばらく中国を苦しめるとみられる。

Tuesday, June 23, 2015

書評 『チャイナズ・スーパーバンク 中国を動かす謎の巨大銀行』

『チャイナズ・スーパーバンク 中国を動かす謎の巨大銀行』

ヘンリー・サンダースン、マイケル・フォーサイス著(築地正登訳)原書房 2800年+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 2005年に中国の地場自動車メーカー、奇瑞汽車を訪問したとき、輸入新鋭設備を並べたエンジン工場が印象的だったが、市場でまだ成功していない同社になぜこんなにすごい工場を建設するカネがあるのか不思議だった。その答えが本書のなかにある。奇瑞汽車は中国の政策銀行である国家開発銀行から投資と融資を受けていたのだ。

 国家開発銀行の2013年の融資残高は124兆円で、世界最大の商業銀行である中国工商銀行の融資残高(122兆円)を上回る。しかし、その実態は謎に包まれている。私自身も同行のことは時々耳にはしていたが、本書を読んでその巨大さに驚いた。同行の資金はもっぱら債券によって調達されているが、それは国債に準ずる信用力を持つものとされ、主に中国の商業銀行が購入している。債券で調達された資金は中国国内の鉄道や道路、都市開発、新興産業の育成、さらには中国企業の海外進出の支援にも融資されている。

 近年、中国の地方政府は傘下に「融資平台」と呼ばれる会社を作り、そこに銀行からの融資を引き出して都市のインフラや住宅の建設を進めているが、この仕組みを案出したのも国家開発銀行だという。同行は土地の売却益を担保として都市開発や企業の再生に融資する仕組みを通じて2009年以降の投資主導型の経済成長をリードする役割を演じてきた。

 さらに、国家開発銀行は海外への投融資も拡大し、途上国への融資額はすでに世界銀行を上回っている。アフリカでは中国・アフリカ開発基金を運営し、中国企業のアフリカ進出プロジェクトに出資している。また、ベネズエラやエクアドルなどの産油国には石油を中国向けに輸出するのと引き替えにインフラや工場の建設の資金を融資している。

 新興産業の支援も同行の主要な業務分野の一つだが、特に通信機器や太陽電池などの新興民間企業が海外で販売を拡大するうえで同行の融資は大きな役割を果たした。ただ、同行による金融支援が事実上の政府補助金に当たるとして欧米の反発を買い、反補助金課税やアンチダンピング課税を招いた。

 あたかも中国の成長分野を国家開発銀行が産み出したかのような本書の書き方は一面的であり、同行の投融資活動はむしろ中国の産業政策の従属変数と見なすのが妥当であろう。とはいえ、本書は外部からはわかりにくい巨大銀行の姿を多方面からの取材から明らかにした第一級のジャーナリズムの成果だと評価できる。

書評・岩下明裕編著『領土という病 国境ナショナリズムへの処方箋』


『領土という病 国境ナショナリズムへの処方箋』

岩下明裕編著 北海道大学出版会 2400年+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 面積から言えば日本の領土問題の99.9%を占める北方領土の周辺の海は豊かな漁場だが、ソ連崩壊後そこで密漁されたカニやウニが日本に大量に輸入され、いまや日本人があらかたの資源を食べつくしてしまった。北方領土問題はまだ解決の糸口が見えないが、そのことは日本人がその水産資源を利用する妨げとはならなかった。

 WTO体制のもとでは、単に自国の利益を図るために輸出を制限することは認められていない。このことはある加盟国が他の加盟国の資源を利用することに制約がないことを意味する。だからグローバリゼーションのもとでは領土を増やすことの経済的意味は小さく、それよりも領土をめぐって隣国とケンカを続けることのコストの方がよほど大きい。

 竹島は韓国が実効支配しているが、仮に日本が韓国の主張を認めて経済水域を線引きすると、かえって韓国漁船が盛んに違法な漁をしている日本側の漁場を日本は取り戻せるという。

 領土をめぐって他国と争うのは経済的国益がかかっているからだと主張されることが多いが、日本が領土紛争を抱える地域の現状に関する本書の報告を読むと、そうした主張の根拠が薄弱なことがよくわかる。

 それでも自国領が隣国に脅かされそうだとなると、仮にそれがつまらない無人島であってもまるで自分の指をもぎ取られるかのような恐怖を感じて猛然と反発する。自国領だとする歴史的根拠などしょせん曖昧なのに、「我が国固有の領土」という枕詞が独り歩きし、それに疑問をさしはさむ者には「売国奴」のレッテルが張られる。これが本書のいう「領土という病」だが、この病は日本でも次第に重くなっている。

 この病に対する鎮静剤として編まれた本書は、ボーダーの現状を伝えることでその役を果たそうとしている。本書でこの病に侵されていない10名の研究者・新聞記者が勇気ある議論を展開しているのは心強い限りだが、今後は隣国にも同志を見つけることを期待したい。

 鄧小平は尖閣問題について後の世代のほうがもっと賢いだろうから後世に解決を委ねようと言った。残念ながら領土問題を解決する知恵を持った賢い時代はまだ到来しておらず、むしろ以前より愚かな時代になってしまった。ただ、本書には将来の領土問題の解決につながるヒントが読み取れる。領土には排他的な主権が及ぶべきものだという思い込みから我々が自由になることで、係争地を双方の地方自治体の共同管理に委ねるなど新たなアイディアが浮かんでくる。

書評・瀬口清之『日本人が中国を嫌いになれないこれだけの理由』


『日本人が中国を嫌いになれないこれだけの理由』

瀬口清之著 日経BP社 1800円+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 2014年の中国の国内総生産(GDP)は日本の2倍以上になることがほぼ確実だ。著者は今後2020年ぐらいまでは都市化とインフラ建設をエンジンとして中国は67%の高度成長を続けることができるとみている。その後は都市化というエンジンが弱まるので成長率は鈍化するものの、2020年代にはアメリカを抜いて世界最大の経済大国になるだろう。

 その中国市場をめがけて世界の企業が攻勢を強めている。日本企業も例外ではない。2014年上半期に日本の対中国直接投資が急減したことが伝えられたが、それは尖閣問題の影響がタイムラグを経て現れたもので、実際には13年秋から投資は回復しているようである。沿海部の都市など3億人が居住する地域では1人あたりGDP1万ドルを超えているが、その水準に達すると質の高い日本企業の製品やサービスを購入できる層が増えるため、日本企業には大きなチャンスがある。逆に2020年までの高度成長期の間に中国で地歩を固めておかないとその後の安定成長期に挽回するのは難しくなるだろう。

 日本企業の中国ビジネスで問題なのは、現地法人の日本人経営者がしばしば本社の方ばかり見ていて、中国人従業員に対してリーダーシップを発揮できないことである。中国の国内販売で成功するには優秀な中国人経営者をトップに据え、現地に権限を委譲して環境の激しい変化に臨機応変に対応できるようにしなければならない。

 本書は、書名こそいささか奇をてらいすぎな感があるものの、内容は至極まっとうな中国経済論、中国ビジネス論である。とりわけ、中国の金融システムの説明や、日本企業の中国ビジネス改善への提言などに日銀行員としての筆者の経験や豊富な現地取材の成果が現れている。

 本書が書店の中国関係書コーナーでひときわ光り輝いて見えるのは、周りが中国の暗部ばかり強調したり、中国は崩壊すると主張する本ばかりだからである。中国経済が破綻するという議論は中国のGDPが日本の8分の1だった20年前から存在した。だが、中国のGDPが日本の2倍になってもそういう議論がやむどころかますます盛んになっている感さえある。それはもう客観的分析というよりも一種の呪詛と理解すべきだろうが、憂慮すべきは、企業の戦略を立てるような人たちまでがそうした議論に影響されてしまっているらしいことである。本書が機縁となって、もう少しバランスの取れた中国観が広まることを筆者とともに私も望む。

書評・明木茂夫『中国地名カタカナ表記の研究――教科書・地図帳・そして国語審議会』


書評・明木茂夫『中国地名カタカナ表記の研究――教科書・地図帳・そして国語審議会』東方書店、2014

丸川知雄

 

 大学生の頃、1か月かけて中国各地を貧乏旅行した。中国語は大学の第4外国語として1年間勉強しただけだったが、度胸と気合で硬座を乗り継ぎ、安宿を泊まり歩いた。旅の後半、瀋陽に泊まった時、本多勝一の『中国の旅』で読んだ「万人坑」が撫順にあるはずだと思い立って、フロントで撫順への行き方を尋ねた。中学と高校の地理で撫順は「石炭の露天掘りで有名なフーシュン」と習っていたので、「我要去フーシュン(フーシュンに行きたいのですが)」と聞くと、「哪里?(どこ?)」「フーシュン」「ン?」といった感じで全然通じない。不本意ながら紙に「撫順」と書いたら、「哦,fǔshùn!」とわかってくれた。撫順の駅に着いてからもメモ帳に「万人坑」と書いて道を尋ね、なんとか平頂山の同胞殉難記念館[1]にたどり着いた。

 中国語では声調が大事だということは知っていたが、「フーシュン」ぐらいの簡単な発音ならたとえ間違っていても何とか通じるのではないかと甘く見ていたのである。この経験から中学・高校の地理で学んだカタカナ表記による中国地名は役に立たず、むしろ漢字の知識が有用であることを思い知った。

 大学卒業後、私は中国経済研究の道に入り、新聞記者、中国でビジネスをする日本人ビジネスマン、中国研究者と無数の会話を交わしてきたが、天津を「テンチン」、広州を「コワンチョウ」、万里の長城を「ワンリー長城」、珠江を「チュー川」というような珍妙な表現をする日本人にはついぞ出会ったことがない。ところが、中学・高校の地理教科書や地図帳では私が学生だった30年以上前から今日に至るまでずっとこのような地名表記が行われてきたのだ。

 しかも、学校によっては微妙なカタカナの使い分けまで要求するところもあるようで、本書に紹介されている学生の証言によれば、「テストで遼東半島のことをリャオトン半島と書いたら×をもらいました。先生は、『リヤオトン半島』が正解だというのです」といった悲劇まで起こっている。

 日本じゅうの中高生たちがこのような無意味な暗記を強いられていることに私は強い憤りを感じるとともに、申し訳ない気持ちも抱いている。というのは、私はいまや高校地理の教科書2[2]の執筆陣に加わり、中国に関する部分を書いているからだ。言い訳めいて恐縮だが、いずれの教科書を書く際にも、私は編集者に対して中国の地名は漢字表記にすべきであり、珍妙なカタカナ表記は日本の実社会では全く役に立たないし、中国で通じるわけでもないのでやめるべきだとかなり強く主張した。しかし、編集者には受け入れてもらえず、漢字も併記するからとなだめられて矛を納めた。本書によれば小学校から高校までの教科書と地図帳がすべてカタカナ表記で統一されているため、編集者としても一執筆者の意見によって表記を変えるわけにはいかないのだろう。

 それにしてもいったいなぜ日本の地理教育界はこの珍妙なカタカナ表記にこだわり続けているのだろうか。帝国書院の若い編集者に聞いてみたところ、余り自信なさげに「友好教育の影響が強くて…」とおっしゃった。その意味は十分に理解できなかったが、おそらく中国との友好関係に配慮して現地の音に近い読み方を採用することになった、ということなのだろうと解釈した。だが、本書によれば真の理由はまったく別のところにあった。

 中国の地名をカタカナで表記するという方針は昭和20年代に政府の国語審議会で定められた。国語審議会がなぜそのような方針を決めたかというと、漢字を廃止して日本語をカナ文字だけで、もしくはローマ字で表記することを主張する運動を戦前から展開していた人々が委員に加わっていたからだ。日本語のなかの漢字使用を制限し、いずれは廃止しようとする動きの一環として中国の地名もカタカナ表記にされたのである。使う漢字の数を極力減らすのが目的なので、当初は黄河、長江さえも「ホワン川」「ヤンツー川」と表記すべきだと定められた。

 そうした国語審議会での議論を受けて昭和33年に文部省が『地名の呼び方と書き方』という社会科教育の手引書を刊行し、そのなかで中国の地名をカタカナ表記する方法について指導している。この手引書では「ホワン川」「ヤンツー川」はさすがに行きすぎだと考えたのか「黄河」「揚子江」という表記でいいことにしているが、淮河を「ホワイ川」、珠江を「チュー川」、天津を「テンチン」といった今日まで続く珍妙な表記はこの手引書が源となっている。その後、昭和53年と平成6年に財団法人教科書研究センターから『地名表記の手引』が刊行され、これらが現行の地理教科書と地図帳の表記の基準になっているようである。

 以上のように、中国地名のカタカナ表記は「日中友好」どころか、むしろ日本語からの漢字追放という「反中的」ともいうべき動機に由来することだったのである。(しん)(よう)よりも「シェンヤン」のほうが現地音に近くて国際的なコミュニケーションに役立つといった理由づけが後でなされたが、本稿の冒頭で述べたように、カタカナでは中国語の声調を正しく発音できないため、中国ではたいがい通じない。だが、より大きな問題は、日本の実社会では、ペキン、シャンハイなど少数の例外を除いては中国の地名を漢字の音読みで呼ぶことが一般的なので、学校で学んだカタカナ表記が日本人同士のコミュニケーションにも役立たないことである。

 もっとも、意外なことに、本書によれば、中国の地名のカタカナ表記は国語審議会の独断ではなく、昭和20年代前半には日本の主要な新聞や放送もカタカナ表記をしていたのだという。しかし、新聞や放送ではそうした表記は定着しなかったし、長年の地理教育も空しく中国地名のカタカナ表記は日本の実社会ではほとんど使われていない。時々新聞のコラムなどで「日本では江沢民(こうたくみん)胡錦濤(こきんとう)と呼んでいるが、アメリカ人と話していてJiang Zemin, Hu Jintaoと言われて誰のことかわからなかった。国際化の時代だからマスコミでも中国語の現地音で表記すべきだ」という意見も見かける。本書によればそういう意見は戦前からあったという。だが、それでも日本社会では中国の人名や地名は漢字の音読みが基本であり続けるだろう。なぜなら、中国の人名や地名をカタカナ表記しようとすると、「チャン」や「チー」だらけになってきわめて覚えにくいからだ。

 本書を読んで、改めて地理教科書と地図帳における中国地名のカタカナ表記は廃止し、漢字表記を主として、慣用的な読みをルビでふるように改めるべきだと強く思った。しかし、1人の教科書執筆者がいくら声を張り上げても事態は変わりそうにない。どうすれば無意味な教育をやめさせることができるのだろうか。カタカナ表記は元はと言えば文部省の指導から始まっているのだから、文部科学省にやめるよう指導してもらうのが筋かもしれない。だが、文部科学省はそのような指導はもうしていないと責任回避するに違いない。であるならば、地理教科書の執筆者たちが出版社の別を超えて手を携え、中国地名の表記法を実社会での慣行に合わせて変えていくことが考えられる。

 ただ、そのためには実際に日本社会で中国各地の地名をどのように呼んでいるのか綿密に調査する必要があるし、また、どのような呼び方が望ましいかを考える必要もあるだろう。例えば、広州と杭州は漢字を音読みするといずれも「こうしゅう」になって紛らわしいため、中国に駐在する日本企業関係者の間では杭州を「くいしゅう」と呼ぶことが多いが、果たしてこの呼び方を採用するべきなのだろうか、それとも原則に従って両方とも「こうしゅう」とすべきなのだろうか。広州も杭州も成田から直行便が飛んでいるぐらい日本にとっては重要な都市だから、両方とも同じ音というのは具合が悪い。早い話、広州行の飛行機に乗るつもりで杭州行に乗ってしまったという事故が起きかねない。私は杭州に限っては漢字音読みの原則を曲げて「杭州(ハンジョウ)」と呼ぶことにしてもよいように思う。

 北京、上海、南京、青島については実社会においてもペキン、シャンハイ、ナンキン、チンタオという読み方が定着しているから地理教科書の表記を変える必要はない。だが、ペキンとナンキンについては、この際、日本全体で呼び方を「ベイジン」と「ナンジン」に改めてもよいのではないかと思う。本書で学んだのだが、Peking, Nankingというのは清朝末期に定められた「郵政式拼音」に基づく北京、南京の表記法で、それを英語式に読んだのが「ペキン」「ナンキン」である。だが、英語圏ではいつの頃からかBeijing, Nanjingと表記するのが一般的になった。中国語と英語の両方でベイジン、ナンジンが一般化している以上、日本もそれに合わせたほうがいいのではないだろうか。2001年にインドのボンベイ、マドラス、カルカッタがムンバイ、チェンナイ、コルカタに変わり、2005年に中国における韓国の首都名の呼び方が漢城から首爾に変わったように、主要な数都市の呼び方を変えることは意外に簡単である。いずれにせよ、本書という強力な武器を得て、戦後60年続いてきた教育現場での中国地名の珍妙なカタカナ表記を改めるべき時が来た。



[1] 19329月に日本の憲兵隊などが抗日ゲリラを掃討するとして平頂山村の住民3000人(一説には400-800人)を虐殺した。記念館は焼かれて白骨化した遺体の山を覆うように建てられている。
[2] 平成19年発行の『高等学校新地理A』(帝国書院)と平成25年発行の『新詳地理B』(帝国書院)。