Tuesday, June 23, 2015

書評 『チャイナズ・スーパーバンク 中国を動かす謎の巨大銀行』

『チャイナズ・スーパーバンク 中国を動かす謎の巨大銀行』

ヘンリー・サンダースン、マイケル・フォーサイス著(築地正登訳)原書房 2800年+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 2005年に中国の地場自動車メーカー、奇瑞汽車を訪問したとき、輸入新鋭設備を並べたエンジン工場が印象的だったが、市場でまだ成功していない同社になぜこんなにすごい工場を建設するカネがあるのか不思議だった。その答えが本書のなかにある。奇瑞汽車は中国の政策銀行である国家開発銀行から投資と融資を受けていたのだ。

 国家開発銀行の2013年の融資残高は124兆円で、世界最大の商業銀行である中国工商銀行の融資残高(122兆円)を上回る。しかし、その実態は謎に包まれている。私自身も同行のことは時々耳にはしていたが、本書を読んでその巨大さに驚いた。同行の資金はもっぱら債券によって調達されているが、それは国債に準ずる信用力を持つものとされ、主に中国の商業銀行が購入している。債券で調達された資金は中国国内の鉄道や道路、都市開発、新興産業の育成、さらには中国企業の海外進出の支援にも融資されている。

 近年、中国の地方政府は傘下に「融資平台」と呼ばれる会社を作り、そこに銀行からの融資を引き出して都市のインフラや住宅の建設を進めているが、この仕組みを案出したのも国家開発銀行だという。同行は土地の売却益を担保として都市開発や企業の再生に融資する仕組みを通じて2009年以降の投資主導型の経済成長をリードする役割を演じてきた。

 さらに、国家開発銀行は海外への投融資も拡大し、途上国への融資額はすでに世界銀行を上回っている。アフリカでは中国・アフリカ開発基金を運営し、中国企業のアフリカ進出プロジェクトに出資している。また、ベネズエラやエクアドルなどの産油国には石油を中国向けに輸出するのと引き替えにインフラや工場の建設の資金を融資している。

 新興産業の支援も同行の主要な業務分野の一つだが、特に通信機器や太陽電池などの新興民間企業が海外で販売を拡大するうえで同行の融資は大きな役割を果たした。ただ、同行による金融支援が事実上の政府補助金に当たるとして欧米の反発を買い、反補助金課税やアンチダンピング課税を招いた。

 あたかも中国の成長分野を国家開発銀行が産み出したかのような本書の書き方は一面的であり、同行の投融資活動はむしろ中国の産業政策の従属変数と見なすのが妥当であろう。とはいえ、本書は外部からはわかりにくい巨大銀行の姿を多方面からの取材から明らかにした第一級のジャーナリズムの成果だと評価できる。

書評・岩下明裕編著『領土という病 国境ナショナリズムへの処方箋』


『領土という病 国境ナショナリズムへの処方箋』

岩下明裕編著 北海道大学出版会 2400年+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 面積から言えば日本の領土問題の99.9%を占める北方領土の周辺の海は豊かな漁場だが、ソ連崩壊後そこで密漁されたカニやウニが日本に大量に輸入され、いまや日本人があらかたの資源を食べつくしてしまった。北方領土問題はまだ解決の糸口が見えないが、そのことは日本人がその水産資源を利用する妨げとはならなかった。

 WTO体制のもとでは、単に自国の利益を図るために輸出を制限することは認められていない。このことはある加盟国が他の加盟国の資源を利用することに制約がないことを意味する。だからグローバリゼーションのもとでは領土を増やすことの経済的意味は小さく、それよりも領土をめぐって隣国とケンカを続けることのコストの方がよほど大きい。

 竹島は韓国が実効支配しているが、仮に日本が韓国の主張を認めて経済水域を線引きすると、かえって韓国漁船が盛んに違法な漁をしている日本側の漁場を日本は取り戻せるという。

 領土をめぐって他国と争うのは経済的国益がかかっているからだと主張されることが多いが、日本が領土紛争を抱える地域の現状に関する本書の報告を読むと、そうした主張の根拠が薄弱なことがよくわかる。

 それでも自国領が隣国に脅かされそうだとなると、仮にそれがつまらない無人島であってもまるで自分の指をもぎ取られるかのような恐怖を感じて猛然と反発する。自国領だとする歴史的根拠などしょせん曖昧なのに、「我が国固有の領土」という枕詞が独り歩きし、それに疑問をさしはさむ者には「売国奴」のレッテルが張られる。これが本書のいう「領土という病」だが、この病は日本でも次第に重くなっている。

 この病に対する鎮静剤として編まれた本書は、ボーダーの現状を伝えることでその役を果たそうとしている。本書でこの病に侵されていない10名の研究者・新聞記者が勇気ある議論を展開しているのは心強い限りだが、今後は隣国にも同志を見つけることを期待したい。

 鄧小平は尖閣問題について後の世代のほうがもっと賢いだろうから後世に解決を委ねようと言った。残念ながら領土問題を解決する知恵を持った賢い時代はまだ到来しておらず、むしろ以前より愚かな時代になってしまった。ただ、本書には将来の領土問題の解決につながるヒントが読み取れる。領土には排他的な主権が及ぶべきものだという思い込みから我々が自由になることで、係争地を双方の地方自治体の共同管理に委ねるなど新たなアイディアが浮かんでくる。

書評・瀬口清之『日本人が中国を嫌いになれないこれだけの理由』


『日本人が中国を嫌いになれないこれだけの理由』

瀬口清之著 日経BP社 1800円+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 2014年の中国の国内総生産(GDP)は日本の2倍以上になることがほぼ確実だ。著者は今後2020年ぐらいまでは都市化とインフラ建設をエンジンとして中国は67%の高度成長を続けることができるとみている。その後は都市化というエンジンが弱まるので成長率は鈍化するものの、2020年代にはアメリカを抜いて世界最大の経済大国になるだろう。

 その中国市場をめがけて世界の企業が攻勢を強めている。日本企業も例外ではない。2014年上半期に日本の対中国直接投資が急減したことが伝えられたが、それは尖閣問題の影響がタイムラグを経て現れたもので、実際には13年秋から投資は回復しているようである。沿海部の都市など3億人が居住する地域では1人あたりGDP1万ドルを超えているが、その水準に達すると質の高い日本企業の製品やサービスを購入できる層が増えるため、日本企業には大きなチャンスがある。逆に2020年までの高度成長期の間に中国で地歩を固めておかないとその後の安定成長期に挽回するのは難しくなるだろう。

 日本企業の中国ビジネスで問題なのは、現地法人の日本人経営者がしばしば本社の方ばかり見ていて、中国人従業員に対してリーダーシップを発揮できないことである。中国の国内販売で成功するには優秀な中国人経営者をトップに据え、現地に権限を委譲して環境の激しい変化に臨機応変に対応できるようにしなければならない。

 本書は、書名こそいささか奇をてらいすぎな感があるものの、内容は至極まっとうな中国経済論、中国ビジネス論である。とりわけ、中国の金融システムの説明や、日本企業の中国ビジネス改善への提言などに日銀行員としての筆者の経験や豊富な現地取材の成果が現れている。

 本書が書店の中国関係書コーナーでひときわ光り輝いて見えるのは、周りが中国の暗部ばかり強調したり、中国は崩壊すると主張する本ばかりだからである。中国経済が破綻するという議論は中国のGDPが日本の8分の1だった20年前から存在した。だが、中国のGDPが日本の2倍になってもそういう議論がやむどころかますます盛んになっている感さえある。それはもう客観的分析というよりも一種の呪詛と理解すべきだろうが、憂慮すべきは、企業の戦略を立てるような人たちまでがそうした議論に影響されてしまっているらしいことである。本書が機縁となって、もう少しバランスの取れた中国観が広まることを筆者とともに私も望む。

書評・明木茂夫『中国地名カタカナ表記の研究――教科書・地図帳・そして国語審議会』


書評・明木茂夫『中国地名カタカナ表記の研究――教科書・地図帳・そして国語審議会』東方書店、2014

丸川知雄

 

 大学生の頃、1か月かけて中国各地を貧乏旅行した。中国語は大学の第4外国語として1年間勉強しただけだったが、度胸と気合で硬座を乗り継ぎ、安宿を泊まり歩いた。旅の後半、瀋陽に泊まった時、本多勝一の『中国の旅』で読んだ「万人坑」が撫順にあるはずだと思い立って、フロントで撫順への行き方を尋ねた。中学と高校の地理で撫順は「石炭の露天掘りで有名なフーシュン」と習っていたので、「我要去フーシュン(フーシュンに行きたいのですが)」と聞くと、「哪里?(どこ?)」「フーシュン」「ン?」といった感じで全然通じない。不本意ながら紙に「撫順」と書いたら、「哦,fǔshùn!」とわかってくれた。撫順の駅に着いてからもメモ帳に「万人坑」と書いて道を尋ね、なんとか平頂山の同胞殉難記念館[1]にたどり着いた。

 中国語では声調が大事だということは知っていたが、「フーシュン」ぐらいの簡単な発音ならたとえ間違っていても何とか通じるのではないかと甘く見ていたのである。この経験から中学・高校の地理で学んだカタカナ表記による中国地名は役に立たず、むしろ漢字の知識が有用であることを思い知った。

 大学卒業後、私は中国経済研究の道に入り、新聞記者、中国でビジネスをする日本人ビジネスマン、中国研究者と無数の会話を交わしてきたが、天津を「テンチン」、広州を「コワンチョウ」、万里の長城を「ワンリー長城」、珠江を「チュー川」というような珍妙な表現をする日本人にはついぞ出会ったことがない。ところが、中学・高校の地理教科書や地図帳では私が学生だった30年以上前から今日に至るまでずっとこのような地名表記が行われてきたのだ。

 しかも、学校によっては微妙なカタカナの使い分けまで要求するところもあるようで、本書に紹介されている学生の証言によれば、「テストで遼東半島のことをリャオトン半島と書いたら×をもらいました。先生は、『リヤオトン半島』が正解だというのです」といった悲劇まで起こっている。

 日本じゅうの中高生たちがこのような無意味な暗記を強いられていることに私は強い憤りを感じるとともに、申し訳ない気持ちも抱いている。というのは、私はいまや高校地理の教科書2[2]の執筆陣に加わり、中国に関する部分を書いているからだ。言い訳めいて恐縮だが、いずれの教科書を書く際にも、私は編集者に対して中国の地名は漢字表記にすべきであり、珍妙なカタカナ表記は日本の実社会では全く役に立たないし、中国で通じるわけでもないのでやめるべきだとかなり強く主張した。しかし、編集者には受け入れてもらえず、漢字も併記するからとなだめられて矛を納めた。本書によれば小学校から高校までの教科書と地図帳がすべてカタカナ表記で統一されているため、編集者としても一執筆者の意見によって表記を変えるわけにはいかないのだろう。

 それにしてもいったいなぜ日本の地理教育界はこの珍妙なカタカナ表記にこだわり続けているのだろうか。帝国書院の若い編集者に聞いてみたところ、余り自信なさげに「友好教育の影響が強くて…」とおっしゃった。その意味は十分に理解できなかったが、おそらく中国との友好関係に配慮して現地の音に近い読み方を採用することになった、ということなのだろうと解釈した。だが、本書によれば真の理由はまったく別のところにあった。

 中国の地名をカタカナで表記するという方針は昭和20年代に政府の国語審議会で定められた。国語審議会がなぜそのような方針を決めたかというと、漢字を廃止して日本語をカナ文字だけで、もしくはローマ字で表記することを主張する運動を戦前から展開していた人々が委員に加わっていたからだ。日本語のなかの漢字使用を制限し、いずれは廃止しようとする動きの一環として中国の地名もカタカナ表記にされたのである。使う漢字の数を極力減らすのが目的なので、当初は黄河、長江さえも「ホワン川」「ヤンツー川」と表記すべきだと定められた。

 そうした国語審議会での議論を受けて昭和33年に文部省が『地名の呼び方と書き方』という社会科教育の手引書を刊行し、そのなかで中国の地名をカタカナ表記する方法について指導している。この手引書では「ホワン川」「ヤンツー川」はさすがに行きすぎだと考えたのか「黄河」「揚子江」という表記でいいことにしているが、淮河を「ホワイ川」、珠江を「チュー川」、天津を「テンチン」といった今日まで続く珍妙な表記はこの手引書が源となっている。その後、昭和53年と平成6年に財団法人教科書研究センターから『地名表記の手引』が刊行され、これらが現行の地理教科書と地図帳の表記の基準になっているようである。

 以上のように、中国地名のカタカナ表記は「日中友好」どころか、むしろ日本語からの漢字追放という「反中的」ともいうべき動機に由来することだったのである。(しん)(よう)よりも「シェンヤン」のほうが現地音に近くて国際的なコミュニケーションに役立つといった理由づけが後でなされたが、本稿の冒頭で述べたように、カタカナでは中国語の声調を正しく発音できないため、中国ではたいがい通じない。だが、より大きな問題は、日本の実社会では、ペキン、シャンハイなど少数の例外を除いては中国の地名を漢字の音読みで呼ぶことが一般的なので、学校で学んだカタカナ表記が日本人同士のコミュニケーションにも役立たないことである。

 もっとも、意外なことに、本書によれば、中国の地名のカタカナ表記は国語審議会の独断ではなく、昭和20年代前半には日本の主要な新聞や放送もカタカナ表記をしていたのだという。しかし、新聞や放送ではそうした表記は定着しなかったし、長年の地理教育も空しく中国地名のカタカナ表記は日本の実社会ではほとんど使われていない。時々新聞のコラムなどで「日本では江沢民(こうたくみん)胡錦濤(こきんとう)と呼んでいるが、アメリカ人と話していてJiang Zemin, Hu Jintaoと言われて誰のことかわからなかった。国際化の時代だからマスコミでも中国語の現地音で表記すべきだ」という意見も見かける。本書によればそういう意見は戦前からあったという。だが、それでも日本社会では中国の人名や地名は漢字の音読みが基本であり続けるだろう。なぜなら、中国の人名や地名をカタカナ表記しようとすると、「チャン」や「チー」だらけになってきわめて覚えにくいからだ。

 本書を読んで、改めて地理教科書と地図帳における中国地名のカタカナ表記は廃止し、漢字表記を主として、慣用的な読みをルビでふるように改めるべきだと強く思った。しかし、1人の教科書執筆者がいくら声を張り上げても事態は変わりそうにない。どうすれば無意味な教育をやめさせることができるのだろうか。カタカナ表記は元はと言えば文部省の指導から始まっているのだから、文部科学省にやめるよう指導してもらうのが筋かもしれない。だが、文部科学省はそのような指導はもうしていないと責任回避するに違いない。であるならば、地理教科書の執筆者たちが出版社の別を超えて手を携え、中国地名の表記法を実社会での慣行に合わせて変えていくことが考えられる。

 ただ、そのためには実際に日本社会で中国各地の地名をどのように呼んでいるのか綿密に調査する必要があるし、また、どのような呼び方が望ましいかを考える必要もあるだろう。例えば、広州と杭州は漢字を音読みするといずれも「こうしゅう」になって紛らわしいため、中国に駐在する日本企業関係者の間では杭州を「くいしゅう」と呼ぶことが多いが、果たしてこの呼び方を採用するべきなのだろうか、それとも原則に従って両方とも「こうしゅう」とすべきなのだろうか。広州も杭州も成田から直行便が飛んでいるぐらい日本にとっては重要な都市だから、両方とも同じ音というのは具合が悪い。早い話、広州行の飛行機に乗るつもりで杭州行に乗ってしまったという事故が起きかねない。私は杭州に限っては漢字音読みの原則を曲げて「杭州(ハンジョウ)」と呼ぶことにしてもよいように思う。

 北京、上海、南京、青島については実社会においてもペキン、シャンハイ、ナンキン、チンタオという読み方が定着しているから地理教科書の表記を変える必要はない。だが、ペキンとナンキンについては、この際、日本全体で呼び方を「ベイジン」と「ナンジン」に改めてもよいのではないかと思う。本書で学んだのだが、Peking, Nankingというのは清朝末期に定められた「郵政式拼音」に基づく北京、南京の表記法で、それを英語式に読んだのが「ペキン」「ナンキン」である。だが、英語圏ではいつの頃からかBeijing, Nanjingと表記するのが一般的になった。中国語と英語の両方でベイジン、ナンジンが一般化している以上、日本もそれに合わせたほうがいいのではないだろうか。2001年にインドのボンベイ、マドラス、カルカッタがムンバイ、チェンナイ、コルカタに変わり、2005年に中国における韓国の首都名の呼び方が漢城から首爾に変わったように、主要な数都市の呼び方を変えることは意外に簡単である。いずれにせよ、本書という強力な武器を得て、戦後60年続いてきた教育現場での中国地名の珍妙なカタカナ表記を改めるべき時が来た。



[1] 19329月に日本の憲兵隊などが抗日ゲリラを掃討するとして平頂山村の住民3000人(一説には400-800人)を虐殺した。記念館は焼かれて白骨化した遺体の山を覆うように建てられている。
[2] 平成19年発行の『高等学校新地理A』(帝国書院)と平成25年発行の『新詳地理B』(帝国書院)。

第21届 成均馆大学 现代中国研究所 国际学术大会

2015年6月8日,我在首尔参加了韩国成均馆大学现代中国研究所举办的国际学术大会。
该大会是以中国企业文化为题目, 有大约20来个韩国学者和我参加。原来几个中国学者也准备参加, 但是由于在韩国流行MERS, 从韩国国外参加的只有我一个人了。不过, 会议组为我准备了韩中翻译, 而且与会者的大多数能讲汉语, 所以语言方面没有困难。我从韩国学者的发表学到了不少。成均馆大学是历史很悠久的学校。公元1398年成立,有600多年的历史。学校里有历史性的建筑, 包括李氏朝鲜时代举办殿试的地方。


我从东京出发的那一天,在日本虽然报道了MERS疫情, 但没有说疫情很严重, 没有人劝我不去首尔。但是, 在韩国每天MERS患者增加, 死亡人数也不少, 街上走路的人中也有带口罩的。但是,口罩率只有10%以下的样子。而通过日本电视台的屏幕来看的话, 给人街上的所有人带口罩的感觉。

千代田区立日比谷図書文化館第2回

2015年6月4日、千代田区立日比谷図書文化館主催「 これだけは知っておきたい 中国経済の現在・未来」第2回 「中国を動かす国家と大衆資本家たち」を講演した。アリババの上場、ドローンなど、中国企業はこの一年にもいろいろあった。

千代田区立日比谷図書文化館

2015年5月27日、千代田区立日比谷図書文化館主催「 これだけは知っておきたい 中国経済の現在・未来」第1回 「中国経済の成長と世界への影響」を講演した。
日比谷図書文化館は、いわゆる区立図書館で、日比谷公園の南端。元長銀があった場所から道路を挟んだ向かいにある。いろいろな市民講座を活発に開催している。市民講座というと時間的余裕のある人たち向けのイメージがあるが、場所柄、近くでお仕事をしている人がかなり参加している模様。聴衆の様子が一年の間にずいぶん変わった。昨年(2014年5月)にほぼ同じ内容を講演した時は、中国は短期的にはいろいろ問題あるけれど中長期的には高い成長を続けて遠からずアメリカの経済規模を抜くでしょう、という見通しを話すと、食ってかかるような質問をする人が複数いたが、今年はそういう反応はなかった。

国際大学GLOCOM中国戦略研究会

2015年5月14日 国際大学GLOCOM中国戦略研究会にて「中国経済のこれからを読む」を講演。司会は加茂具樹さん。参加者は大手企業の皆さん。

書評『中国人とアメリカ人 自己主張のビジネス術』



『中国人とアメリカ人 自己主張のビジネス術』

遠藤滋著 文藝春秋(文春新書) 780円+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 本書は三井物産に42年、香港のハチソンワンポア社に15年勤務し、傘寿を迎えた著者による中国人論、アメリカ人論、そして日本人が両者とどう付き合っていくかを論じたものである。著者によれば中国人とアメリカ人は似ている。どちらもオープンで細かいことにはこだわらない。自己主張が強く、交渉上手である。集団よりも個を大事にする。バランス感覚に優れ、何かに全力をぶつけたりせず、常に2割ぐらいは冷静な自分を保っている。どちらも自分たちが世界の中心だと考えている。

 本書では中国人やアメリカ人の目を通してみた日本人像も描かれる。曰く、まじめで勤勉、集団に従う意識が強く、礼儀正しい反面、排他的で融通が利かず、自己表現が下手で、リスク回避的で創造性が弱い。時に一生懸命になりすぎ、まとまって一方向に突っ走ったあげく大きな失敗をする。

 以上のような特徴づけは著者の長年にわたるアメリカ人、中国人、日本人との仕事の経験と、友人たちへの取材を通じた印象論にすぎないと言えばその通りである。しかし、評者と著者とでは交際する中国人、アメリカ人の範囲も異なるし、交際の中身も大きく異なるにも関わらず、評者もまったく同じイメージを持っている。内向き志向を強める日本人に対する歯がゆい思いにも共感する。

 今後、中国経済がますます拡大するなかで、日本はアメリカと中国という2つの超大国に挟まれる格好となる。著者がいうように、米中両国を知り、その文化への理解を深め、国際感覚を磨いていくことが、日本企業および日本人が生きていく上での必須条件となるであろう。

 本書には、アメリカ人、中国人、華人と働いてきた著者の失敗を含めた経験から抽出された様々なアドバイスが盛りこまれているが、何よりも学びたいのは異文化に対する著者の姿勢である。著者は異文化の良いところに学ぼうとしており、文化の差異を楽しんでいる。もともと商業利潤の源泉は価格差なのだから、差異を探し出し、差異のあるところへ飛び込んでいくのが商社員の務めであろう。今世紀に入ってから日本では「モノづくりこそ日本の強み」ということが強調されすぎた。本当は異文化のなかに飛び込んで日本製品を売り込む商業があっての高度成長だったのに、そのことを忘れ、いいモノさえ作っていれば世界が欲しがるはずだという傲慢さから日本は脱し切れていない。高度成長の始まりから今日まで米中で奮闘した著者の商人魂を受け継ぐ若い日本人が増えることを願わずにはいられない。

書評・呉敬璉(曽根康雄監訳、バリー・ノートン編・解説)『呉敬璉、中国経済改革への道』



書評・呉敬璉(曽根康雄監訳、バリー・ノートン編・解説)『呉敬璉、中国経済改革への道』NTT出版、2015

 中国の経済改革は、当初は計画経済の大枠を維持したうえで部分的に市場メカニズムを導入するところから出発したが、1993年には改革の目標を「社会主義市場経済」と定め、それ以降は社会主義という枕詞を冠しつつも、実際には西側諸国と同様の経済制度を整備する方向へ進んできた。呉敬璉は当時政府直属のシンクタンクの要職にあって経済改革の目標設定において重要な役割を果たすなど、一貫して市場経済推進論者として知られている。本書は呉敬璉の1988年から最近までの改革に関する分析と提言を、アメリカにおける中国経済研究の第一人者であるバリー・ノートンが編集し、詳細な解説とともに紹介するものである。

 呉敬璉は計画経済と市場経済の中間に留まるような中途半端な改革の弊害を指摘し、国有企業や金融、財政などを包括的に改革することを提唱した。計画と市場が併存する体制のもとでは、計画による割当で安く仕入れた生産財を高い市場価格で転売するといったレント・シーキングが誘発される。生産財の計画割当が廃止されて市場価格に一本化されれば転売で儲ける余地はなくなるものの、改革の成功によって国有銀行に膨大な預金が集まり、国有地の価値が高まり、国有企業が独占するさまざまな権限の価値が高まると、再びレント・シーキングの機会が生まれる。2003年頃から中国の経済改革が余り進まなくなったが、それは手中にレント獲得の機会を握った官僚や国有企業幹部がそれを手放すことに抵抗するようになったことと、腐敗の蔓延と所得格差の拡大は経済改革自体に原因があると主張する新左派の影響力が強まったことが原因だと呉敬璉は分析する。国有企業の資金調達の場としてスタートした中国の株式市場は制度的な不備により「ルールなきカジノ」になってしまったが、そこから利益を得ている人たちが制度改革を阻んでいる。こうして袋小路に入り込んでしまった改革を前進させる鍵は本書の末尾で論じられる法の支配の実現、共産党の役割の転換、そして民主化であろう。

 本書によって、呉敬璉が1980年代前半という早い時期に市場経済のメカニズムに対する明確なビジョンを獲得し、その立場から中国が直面するさまざまな問題に対する解決策として市場化の徹底を提言し続けてきたことがわかる。201311月の中国共産党中央委員会での決議は国有企業の民営化など新たな改革の進展を期待させる内容を含んでいたが、改革への抵抗も強いようで、現状では改革はなお中途半端なところにとどまっている。今こそ呉敬璉のような勇気ある言論人たちの奮起が期待される。

(丸川知雄 東京大学社会科学研究所教授)

書評『最強の未公開企業 ファーウェイ』


『最強の未公開企業 ファーウェイ』

田濤・呉春波著(内村和雄監訳) 東洋経済新報社 1800円+税

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所教授)

 

 評者はこの本の筆者の一人である呉春波中国人民大学教授に会ったことがある。1999年にファーウェイの本社を訪れたとき、会社側を代表して説明に立ったのが彼だったのだ。来訪者に対して会社の説明する仕事を外部の人にアウトソーシングするなんて、とその時は大変驚いた。だが、ファーウェイの経営の本質を知り抜く呉教授の説明を聞くことができたのは今から思えば幸運なことだった。

 私の訪問時の呉教授の説明でも、また本書のなかでも強調されていることは、創業者の任正非がメディアの取材を受けず、目立たないように努めていることである。呉教授は会社のパンフレットを差し出して、「他の中国の会社と違って任総裁(当時)の写真がどこにもないでしょ。大勢で会議をしている写真の真ん中にぼんやりと写っている人が任総裁なのですよ」と言った。

 1987年にわずか2万元の資本でスタートした民営通信機器メーカー、ファーウェイは実力のある外資系企業や国有企業がひしめいていた中国の電話交換機市場をまず農村から攻めていった。1998年からは海外市場でも機器の販売を始めたが、まずはアフリカやシベリアなど先進国の同業者が尻込みするような地域に売り込んだ。やがて欧米や日本での機器の販売も広がり、2013年にはついにエリクソンを抜いて世界最大の通信機器メーカーになった。ファーウェイは今や世界に7万人の研究開発スタッフを抱え、常に売上の10%以上を研究開発に投資し、世界の通信技術をリードする存在になった。

 奇跡の躍進を遂げた企業だから、何か特別な経営の秘訣があるに違いないと思いがちだが、本書には経営学者を喜ばせるような新奇なコンセプトは何も書かれていない。本書に紹介されている任正非のさまざまな発言は経営姿勢にかかわる精神主義的なものばかりである。強調されているのは常にオープンな姿勢で、先進企業との提携を通じて学び続けることの大切さである。1998年からIBMなどいくつかのアメリカ企業とコンサルティング契約を結び、業務プロセスの改善に努めてきた。また、同社は顧客至上主義を貫いており、顧客のニーズから乖離して技術の先進性を追求するような経営姿勢はとらない。

 残念ながら中国企業に学ぶべきものがあると考える日本の企業関係者はとても少ない。だが、本書を読みながら、日本の大企業がファーウェイから学ぶべきことは少なくないと思えてならなかった。